2000年後の考古学者へ

読者は要りません。4000年代を生きるあなたに向けて2017年を記します。

2022年09月28日

過去の写真を漁っていた。おもちゃ箱の底の方に仕舞った思い出を取り出して、感傷に浸る。思えば遠くへ来たものだ。滋賀から東京へ越してきて4年が経つ。東京の生活にも慣れ、毎日を何となく楽しく過ごしている。毎日の中で、落ち込むこともあれば、クロマニヨンズの曲が染みる場面にも出会す。しかし、東京へ来る以前の生活特に大学生活を思えば、今の自分は余りに出来すぎているのもしれない。大学時代に経験した孤独感や閉塞感、絶望は僕の心を締め付け、外の世界へ足を向ける気力を削いだ。そのことがさらなる絶望をうむ負のスパイラルに陥ることになるのだが、それに気づくことは難しかった。当時の写真を見返すと将来への不安や飢餓感が顔に刻まれていて、泣きそうになる。そんな不遇の時を経て、今がある。途轍もない絶望は今も傷として残り、大きな絆創膏を貼ってやり過ごしているが、他の箇所にできた傷の多くは瘡蓋がとれて、痕跡がなくなりつつある。かさぶたを一緒に貼ってくれた、こちら来て知り合ったすべての友人、知人へ感謝したい。あなた達が今の私の顔を作ってくれている。但し私はまだまだ幸せという薬を体全身に手当し、一番大きな傷の手当をするという宿題がある。だから、まだまだ貪欲に幸せを求めて、生きていく。過去の自分が見て、嬉しくて泣き出すくらい幸せになる。そして、過去の自分を見て、辛くて泣き出すくらい幸せになる。取り出した思い出は私のこれからの生きる道標を教えてくれた。もう夜の2時だ。ゆっくり寝て明日からの旅に備えたい。

20201004

孤独感。
私の人生のテーマかもしれない。
東京へ越してきて約一年半ほどが経った。当時思い描いていたものよりずっと充実した日々を過ごせている。東京へ来て、仕事をし、お金を得て、好きなものを食べ、好きなところへ赴く。普通のことだが、それを不十分なくできることに幸せを感じる。しかし、東京へ来て、失うものもある。コミュニティだ。大学まで関西で過ごした私は、東京に自分のコミュニティが会社一つしかない。孤独感と常に隣り合わせの毎日である。気にしなければ、やり過ごせるものでもある。しかし、最近出会った人は私のこの孤独感をいつも剥がしてくれる。家族、親友といるときに剥がれる孤独感を見事に容易く剥がしてくれるのだ。この感覚は初めてである。家族、親友以外で私の孤独感を剥がしてくれる存在は。この存在の登場は私を混乱させた。一体何者なのか。恋でも友愛でもない。また別の感情。それは東京でできた家族と言える。孤独感をはぎ取れる家族以外の存在は初めてである。名をつけるなら赤の他人で且つ兄弟。そんなところだろう。異常に落ち着く。異常に話が合う。そしてコミュニティの不在から生じる孤独感を剥がしてくれる存在。これらをすべて満たす存在はアナザーファミリーとでも言える。新たな役割で登場したこの人物。兄弟かつ他人役のこの人と、仲良くやっていく。そして、孤独感を剥がし続ける存在として私とその役を肯定したい。

2018年05月29日

仄かな疲れを的って、電車に揺られる。朝は不安に支配される。不安は安心できないだけで、不幸の前兆ではない。不安が緊張を呼び、緊張は体を硬直させる。硬直した体は躍動感をなくし、エネルギーを奪い、不安が的中する。不安は感じれば的中するが、往なすことができれば、泡となる。もしも失敗したくないのならば、不安を往なす必要がある。自信は厄介だから、過信を使って不安を撃退しよう。電車の揺れに負けないように

2018年5月28日


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人生を終えるちょうど一秒前、何を思うだろうか。きっと過去の失敗も後悔も恥辱も悲嘆も忘れて、友との思い出が走馬灯のように瞼の裏に映写されるのではなかろうか。いやそんな人生だったら何よりだ。と今日は思った。一人で歩く御堂筋も友と歩けば徒労感はなくなる。卑屈になって生きてきたこれまで。一人でいること孤独こそ私を癒すオアシスだと思ってきた。しかしそんな強がりはそろそろよそう。僕だって人と繋がっていたい。人から好かれたい。愛されたい。そんな思いを言葉に行動に示しても良いじゃないか。そんな優しい気持ちにさせてくれた今日の一幕。 お金や地位名誉、成功や称賛は刹那的なもの。心に深く傷を残す、優しい痕跡はきっと人と人と人。今日はなんだか牧歌的な歌でも聞いて眠りたい。優しい手嶌葵の吐息を耳に残しながら、夢の中へと歩みを始めよう。

2018年5月26日


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昨日はインド人の友達モイン君と話をした。話のテーマは生きる意味。これまで何のために生きているのか?そんなこと私には分からないと考えることを放棄してきた。しかし彼は私とは違う。自分の生をどのように使っていこうかと日々熟考しているのだ。感心した。私の生きている世界には自分の意見を話すことを由とする文化がない。すべての言葉が婉曲的で、言葉の裏側にある真理を読み解く必要がある。何度も生きにくい世界だ。この世界にいると息が詰まって、今にも窒息しそうになる。そんな時はコミュニティを変えて、別の世界へ飛び出せば良い。パスポートもビザもいらない。友愛の心さえあれば、入国できる。世界はもっと広くて深い。この真理は例えるならば、旅客船に着いている救命ボートのようなもの。何時だって世界からの脱出は可能だ。その事を知ることが人生を豊かにする。きっときっと日本人は自分の人生を考える暇さえないのではないだろうか。狭小な世界からの脱出を夢想するばかりで、そこで暮らす意味を見いだす余裕がない。生きる意味。その事を考えることから生きる意味が生まれると今は思う。 夢の始まりはブログの終わりから。

2017年11月27日


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絵を描いている。とても楽しい。テレビを消して、カーテンを閉める。パレットに絵の具を入れ、水で溶かして色を作る。その瞬間から私は時間の概念を忘れ、白い紙と絵筆をお供に自分だけの世界へ旅を始める。その世界には、時計もない。喧騒もない。競争もない。あるのは白い紙に絵具とパレットと絵筆とマスキングテープがちょっと。このままではもとの世界に帰れない。そんな時は、地下から怒号のように鳴り響く『ご飯やでー』。号令とともに世界から帰還した僕は体の疲れに気づく。そして、窓の向こうの喧騒に気づく。深いため息とともに、ご飯を食べる。帰還の宣言はいつも『いただきます』。

207年11月25日

 

 
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この世界はきっと美しい。そう思える瞬間を神様は時に私に用意してくれる。そんな時は必ずカメラにこの至福の時を収める。人がなぜ写真をとるのか。きっと眼前の幸せが永遠に続いてほしいと願うと同時にそれは永遠に叶わぬ夢だと知っているからだろう。カメラが発明され、幸せが保存できるようになった。幸せは右矢印に続く時間軸のなかで、永遠に続くものではないけれど、写真に収めることで冷凍保存できるのだ。いつでも解凍すればそのときの幸せの味を嗜むことができる。人類が発明した文明の中でも写真機は最高の代物と言えるだろう。何せ幸せを冷凍保存できるのだから。

という事で今日は私が保存した写真たちを解凍し、過去の幸せに黄昏ることにする。時間は日が変わって00時34分、夢の中で続きを始めるとする